火曜日は火にまつわる話を
火曜日ですから、火にまつわる話をしていきたいと思います。
今日の話は・・・
本日は、先週の土曜日に続いて、アメリカでの私の交通事故についての話です。
ケンタッキー州、レキシントンに移ったばかりの私は、友人の新車を運転して、買い物に出かけ、その帰りに、追突事故に遭遇したのは、先週、書いたとおりです。
救急車に乗り、病院で治療を受け、廃車寸前にまで後部が大破した友人の新車の修理のため、保険会社への問い合わせの日々が始まりました。
これが、非常に骨の折れる作業だったのです。
私のアメリカ留学は、1992年の10月から1995年の1月までの約2年間でした。
最初は、カンザス州のウィチタという町でしたが、そこには約7ヶ月間滞在しました。そして、1993年の5月には、ケンタッキー州のレキシントンという街に移り住んだのです。
レキシントンは、美しい所でした。本田の工場があるということで、日本に対しての親近感を持つ人も多く、また、私の当時の大好物だったケンタッキーバーボンウィスキーのメッカでもありました。
レキシントンへ移り、3日目、学校の入学手続きを済ませた私は、カンザス州友人から借りた車で、食料の買出しに出かけました。
ウィチタとは違い、レキシントンのスーパーには、日本の調味料やお菓子などがかなりたくさん置いてあって、嬉しくなった私は、かなりの量の日本関連の食材を購入し、トランクいっぱいにそれを詰め込むと、借りたばかりのアパートに心を躍らせながら、戻るところでした。
そして、悲劇が起こったのです。
アメリカへ留学してから2年目に入った頃、コロラド州の州都デンバーへ移りました。
私は結局、帰国するまでの残りの留学生活(1年余り)の全てを、デンバーで暮らすになりましたが、とにかく魅力的な街でしたね。
街の規模としては、アメリカの中では中規模でした(名古屋とか福岡くらいの規模だと思います)が、自然の景観が素晴らしく、車で1時間も走れば、ロッキー山脈の入り口に辿りつき、しかも、さらに1時間も走れば、有名スキーリゾートにたどり着いてしまいます。
ロッキー山脈は、アメリカでも最も大きな国立公園になっていて、ヘラジカやムースなどの大角鹿が群生していたり、また、肉食獣のマウンテンライオン(ピューマ)、グリズリーベア(ハイイロ熊)、狼なども生息している、自然環境豊かな動物の楽園でもあるのですね。
しかし、街自体は、高層ビルがそびえる近代的景観が目を引き、大型モール、メジャーリーグのコロラドロッキーズのマイルハイスタジアムやアメリカンフットボールのスタジアムなどが豪快に立ち並ぶダウンタウンエリアは、当時の私には、次世紀の雰囲気が漂っているような風情を感じたものです。
さらに、ちょっと郊外へ出れば、あちらこちらに点在する美しいゴルフ場の数々。そのどのゴルフ場からもダウンタウンの高層ビル群とロッキー山脈の美しい景観のコントラストを楽しむことができます。以前も書きましたが、当時、真剣にプロゴルファーを目指してみようと思っていた私にとっては、最高の環境であったといえますね。
ただ、そんなゴルフ場と並んで、私が気に入っていたデンバー独自のアトラクションがもう1つありました。
アメリカへ留学したての頃、寮での生活は緊張の連続でした。
寮の部屋は、二人部屋で、ルームメイトは、トルコ出身の医学部の大学院生
で、私より5歳ほど年上の人間でした。
この彼が、実は、かなりの曲者だったのですね。
まず、私が入室して、挨拶を交わすやいなや、いきなり、「お前の勉強机の
ライトは十分に眩しいだろう。ということは、お前のベッドの上のランプは
いらないよな?」とまくしたてると、ランプを取り去ってしまったのです。
留学したての頃でしたので、ほとんど英語が話せなかった私は、いったい何が
起こったのか、わからず終いでした。
また、それから数週間が経った後、今度は、私が深夜に読書をしていると、
「ページをめくる音がうるさい」とか、「ベッドランプの明かりが漏れてくる」
などと言って、苦情を言ってきました。
私が、つたない英語で「でも、私も勉強をしなくちゃいけないし、少しは我慢
してほしい」というようなことを頑張って反論したら、「寮内の自習室を使う
べきだ」とか、しまいには、「勉強は、朝型にするほうが能率が上がるぞ」
みたいなことを言って、こちらのライフスタイルにまで干渉してきたのです。
そうこうしているうちに、また1ヶ月程度が経ち、ついに、どうしても我慢が
できない事態が発生しました。
1992年から1995年の1月まで、私はアメリカのカンザス州、ケンタッキー州、コロラド州を渡り歩きながら、アメリカ生活を満喫していました。
今から思うと夢のようなこの生活の中でも、特に、強く印象に残っているのは、10ドル足らずのプレイフィーでラウンドできるゴルフ場に通い詰めて、プロゴルファーを目指そうと考えたコロラド州デンバーでの7月~8月(1994年)です。
今日は、先週の土曜日に引き続き、私のプロゴルファー志望顛末記をお読みください。
さて、今日、7月12日は、私の誕生日です。
昨年、初の40歳超えを達成した私ですが、今年は、当たり前ですが、40+1歳になりました。
まだまだ若輩者と思って生きているうちに、気づいたら、人生も半ばまで生きてきてしまったのですね。早いものです。
「我、四十にして惑わず」の名文句を残したのは、かの孔子ですが、私も nice forties の仲間入りを果たした昨年以降、人生の大きな目的がはっきりと定まり、今年は長男も誕生し、ますます生きていくことに充実感を覚える日々を送ることができるようになりました。
この先は、年齢的には年々、中年の階段を上方へ登っていくことになるのでしょうが、私ははっきりと見据えているライフワークをひたすらに遂行していく日々を送っていくつもりです!
さて、今日は土曜日ですので、ブログは、「喜怒哀楽で綴る留学日記」というテーマで行きたいと思います。
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