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懐かしき時代の同志達

ウェブのプロフィール(http://www.se-c.com/profile/index.html)に詳しく書きましたが、私は、アメリカに留学していたにもかかわらず、あまり英語を上達させることができませんでした。

日本に帰ってきてから、「英語の道で食べていくこと」をあきらめきれなくて、友人の会社でバイトをさせてもらったり、バイク便をしたりしながら、英語の勉強をしていました。

しかしながら、働きながら英語プロをめざして勉強をすることは、想像していた以上に大変なことでした。

仕事が忙しい時などは、夜帰宅して、風呂に入ると、もうぐったりで、なんとか気力を振り絞って机に向かっても、テキストの間に顔をうずめて、居眠りをしてしまう、なんてことがしょっちゅうでしたね。

また、友人達や職場の同僚達から、飲み会などに誘われたりすると、ついつい誘惑に負けてしまい、深酒をして帰宅してしまい、英語の勉強どころじゃあなくなってしまうこともしょっちゅうでした。

しかし、それでも、なんとか、途中で挫折することなく、目標通りの資格を取り、現在の仕事を始めるまで、英語の勉強を頑張り通すことができました。

ただ、それは私に根性があったから、というわけではなく、実は、「同志達の支え」があったことが大きかったのです。

彼らとは、東京の「通訳ガイド試験予備校」として有名なスクールに私が通っていた時に、出会いました。

ある日、そのスクールが主催する懇親パーティがあって、その時、意気投合したのが、Yさん、Kくん、Iさん、Sくんの四人でした。

彼らは、年齢も、英語力も、抱える状況なども、私と非常に似通っていることがわかり、それから、通訳ガイド試験に受かるまで、毎週、日曜日にこの同志達と集まって、勉強会を開こうということになったのです。

結局、そのスクールの講座が終了するまでには、この同志達の中の誰も、ガイド試験に合格することができませんでした。

それでも、私達、同志の勉強会は、不定期になりながらも、その後も、しばらく続いたのです。

やがて、Sくんが、海外でのボランティア活動に参加するために去っていき、その後、Iさんも実家の商売を継ぐために東京を離れ、残ったのはYさんとKくんと私の3人になりました。

翌年も、翌々年も、全員、ガイド試験に合格することはできませんでしたが、私がTOEICで900点を超え、Kくんも、英検1級取得に成功して、それぞれ、新しい職を得て、東京を離れることになりました。

私は、両親の実家である、ここ、桑名市で現在のSEC英語教室を立ち上げることにしたのですが、彼らとの連絡は、当地へやってきてからもしばらくは続きましたね。

私は、教室を立ち上げた翌年、ついに、悲願の通訳ガイド試験を合格することができ、Kくんも、その翌年に合格を果たしたとの連絡を受けました。

やがて、みんな、家庭を持ったり、仕事が多忙になっていったりして、連絡を取らなくなってしまったのですが、今はみんなどうしてるのかな?

本当に、今の私があるのは、あの頃の同志達との「熱い、熱い、語り合い」があったからこそだと思います。

Kくんとやった、毎週、日曜日の「単語記憶合戦」も、今となっては、懐かしいなあ。

もつべきものは友、とはよく言われることですが、英語の勉強でも、その継続の辛さを支えてくれるのは、やはり、このような友達なのですね。

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