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喜怒哀楽で綴る留学日記No.1

さて、今日、7月12日は、私の誕生日です。

昨年、初の40歳超えを達成した私ですが、今年は、当たり前ですが、40+1歳になりました。

まだまだ若輩者と思って生きているうちに、気づいたら、人生も半ばまで生きてきてしまったのですね。早いものです。

「我、四十にして惑わず」の名文句を残したのは、かの孔子ですが、私も nice forties の仲間入りを果たした昨年以降、人生の大きな目的がはっきりと定まり、今年は長男も誕生し、ますます生きていくことに充実感を覚える日々を送ることができるようになりました。

この先は、年齢的には年々、中年の階段を上方へ登っていくことになるのでしょうが、私ははっきりと見据えているライフワークをひたすらに遂行していく日々を送っていくつもりです!

さて、今日は土曜日ですので、ブログは、「喜怒哀楽で綴る留学日記」というテーマで行きたいと思います。

これから、毎週、土曜日は、私自身の2度に渡る留学経験や、友人・知人・受講生の方々の留学体験の中から、悲喜こもごもの興味深い体験をピックアップして、お伝えしていくつもりです。

第1回目の今日は、自分の誕生日ということもあるので、アメリカ滞在中の私自身の誕生日にまつわる恥ずかしいお話をご紹介してみたいと思います。

私は、アメリカ滞在2年目に、アメリカのコロラド州、デンバーという「州都」に移り、そこで地元の大学になんとか入学を果たし、大学生として留学生活を満喫していました。

そうこうしているうちに、夏が来て、1994年の7月12日、私の27歳の誕生日の日がやってきました。

地元の有名な寿司バーに勤める友人のM君が、わざわざ仕事を休んで、私のためにお祝いをしてくれることになりました。

彼は、自分が勤める寿司バーに私を連れて行ってくれて、そこで、留学生にとっては高嶺の花である高級握りネタを食べ放題で注文してくれました。

大食漢にして大酒飲みで名が通っていた(?)私のために、お店の板前さん達全員から、日本酒やらビールの差し入れを頂き、すっかり満足した私を、M君は、さらに多くの友人達が待つ地元の焼肉屋に今度は連れて行ってくれました。

これは、普段から私が半分本気、半分冗談で、「俺は寿司なら10人前は軽いね。10人前程度の寿司なら、その後で焼肉をあと3~4人前は食べられる」などど豪語していたのが理由だったようです。

また、当時の私は確かにアルコールは底なしで、どれだけ飲んでも、話し上戸、笑い上戸になるだけで、人前でつぶれたことがありませんでした(ウィスキーならボトル2本は軽く空けられましたし、ビールは最高で中ジョッキ50杯という記録がありました)。

そんな風評を知ってか、知らずか、M君と友人達が、いったい、どれくらいのキャパシティがあるのか、「怖いもの見たさ」で、誕生日に私をとことん食わせて飲ませてみようと考えたようなのですね。

ところが、悲劇はその2軒目の焼肉屋で起こったのです。

その焼肉屋は、韓国系アメリカ人が経営しているお店で、M君が行きつけとしてよく食べに行っていたようで、その日、彼は、お店の主人に対して、「大食漢が来るので、とことん、たくさん食べモノ、飲み物を出して欲しい」と頼んでおいてくれたようなのですね。

実際、私も、寿司バーでかなりの量を既に食べていたとはいえ、「焼肉は別腹」と半分、本気で冗談を言えるくらい、まだまだ、胃袋には余裕があるように感じていました。

しかし、焼肉屋に入って、ビールを口にした途端、突然、目の前の景色がぐるぐる回り始めたのですね。

こんな感じはこれまでに経験したことがなかったので、最初、自分ではいったい何が起こっているのか把握することができませんでした。

そのうちに、胃袋の中の食べ物が、ゴゴゴォーっとスゴイ勢いで、逆流してくるのを感じたのです。

それまで、どれだけ大量に飲食しても、絶対に吐いたことがなかったので、自分では、「食べ物を吐く」というのがどんな気持ちなのか、わかっていませんでした。

ただ、自分では、緊急事態が体内で進行していることだけはわかっていたので、すぐに席を立って、トイレに駆け込むことにしました。

トイレでは「大」の中に入り、ぐるぐる回って見える便器の前にしゃがみ、ひたすら、吐き気を堪えていました。そうこうしているうちに、ますます、気分が悪くなってきて、腰が抜けたような状態になってしまい、もう、しゃがんでいることもできなくなってきました。

そこで、トイレの床に腰を下ろし、ますます、激しく回転していく便器の映像を眺めながら、なす術もなく、じっとしていると、そのうち、外から、M君の声で、「ヒロさん、大丈夫ですか?」との声がしました。

私は、ほとんど最後の力を振り絞って、「ダイ・ヒョ~・ブ・ダ・ヒョ~・・・」と力なく返事をしました。

それからも、そのトイレの床にたたずむこと30分以上、ついに、M君が友人達や店員を連れてきて、私をトイレから出し、介抱することを決意したようでした。

その時、ものすごく力の強い黒人の若者達が私の体を軽々と担いでくれて、トイレから店の中をいい「見世物」のように、ほとんど気絶寸前の私を運んでいってくれました。

私は、彼らが私達を担ぎ上げる時に、力なくも抵抗しながら、「Please don't make me move! I'll throw up!」と警告していましたが、彼らはお構いなしでした。

そして、悲劇が起こったのです。

店内でも最も多くの客で賑わうエリアを彼らが私を担いで通過しようとするところで、私の口から「噴水」の如く、嘔吐物が噴射されてしまったのです。

店内に悲鳴が上がるのが聞こえました。Demn, F○○K, S○○T, など、ありとあらゆる罵り言葉が私に浴びせられたようですが、当の本人は、ほとんど意識を失っていたので、いかなる感情も湧き上がってはきませんでした。

その後、M君と友人達がどのようにして、私をアパートまで送り届けてくれたのか、全く、記憶が残っていません。

ただ、後から聞いた話では、優しいM君は、嘔吐物まみれの私の衣服をきれいにふき取ってくれ、その後、自分の車に乗せて、なんとか、私をアパートへ送ってくれたみたいでした。

また、すっかり迷惑をかけてしまった焼肉店の主人も、M君の人柄のおかげで、この騒動をすっかりと許してくれて、「お客さんの悲鳴が上がった時には、強盗でも入ってきたのかと思ったよ、でも、その後で見た光景は、ある意味、強盗よりもヒドイものだったけど」と冗談交じりで話していたようです。

私は、どうやら、とてつもなくひどい風邪にかかっていたようで、それから3日間、ひどい下痢と嘔吐に、のた打ち回る日々を過ごしました。

ようやく歩けるようになって、病院へ行ったら、まだ熱が39度近くあり、しかも、医師から、この風邪は胃腸に強烈なダメージを与えると聞かされ、「なるほど」と頷いたものですが、そんな情報もあの大失態の後ではすっかり「後の祭り」でしたね。

とにかく、それ以来、私はもう、お酒を飲む場合でも、食べる場合でも、なるべく控えめな発言をするように心がけています。

お酒の席での最初で最後の大失態が、アメリカという地で、しかも、自分の誕生日だったということで、これは、二度と忘れることのできない、強い教訓として、私の中に刻まれたのです。

M君、そして、お店のご主人さん、本当に、ごめんなさいね。私は今でも反省しています。

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